第五福竜丸船員 久保山愛吉氏追悼焼津行動
今年は「第五福竜丸事件」から71年です。「第五福竜丸事件」とは、1954年3月1日に南太平洋ビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験によって、近く(近くとはいっても数百キロ遠方)で操業していたマグロ漁船の船員が「死の灰」を浴びたことにより被爆した事件のことです。当時、この事件をきっかけに原水爆禁止運動が盛り上がるきっかけになりました。その後数奇な運命をたどった第五福竜丸は、現在東京都立第五福竜丸展示館にて保存され、「死の灰」とともにいつでも見学できるようになっています。
第五福竜丸の無線長だった久保山愛吉さんは、被爆から約半年後に「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」という言葉を残し亡くなりました。2021年に核兵器禁止条約が発効され、使用はもちろん、開発・保有・使用の威嚇さえも禁止することが定められましたが、核兵器による不安はむしろ増大しています。
久保山愛吉さんの命日である9月23日にはお墓がある焼津市で追悼行動が行われます。ユーコープ労働組合は、この追悼行動への参加を広く呼びかけます。
